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ラーメン王・武内伸さん死去
FX初心者の主婦の日記

人間ひとりが完璧に成し遂げられる事の数は決して多くはなく、ひとつでもそう呼べるものがあるのなら人間として幸せなのかもしれません。


日本ラーメン協会副理事長の肩書きよりは、第2代ラーメン王として知られた武内伸さんが、13日に肝硬変の為、48歳で亡くなられたそうです。

肝硬変か・・。

ラーメンを一日3食リアルに食べてきた武内さんが、肝機能の障害を持つ事は必然であり、予想された事態なのでしょう。

でも、彼に安易に「もっと体に気をつけていれば・・」なんて薄っぺらい言葉をかけるべきではないでしょうね。

ラーメンを世界一愛して、ラーメンを研究して、ラーメン業界の発展に尽力して、ラーメンを食べて。

そんな竹内さんだからこそ、ラーメンと一緒にこの世を旅立ったのだと尊敬の念を抱きたいですね。


命を張って、ラーメンの為に生きた男が歴史の教科書に載っていてもいいなぁと、こっそり思っています。





 日本ラーメン協会副理事長で、“ラーメン王”として知られた武内伸(たけうち・しん)さんが13日午前11時33分、肝硬変のため、入院先の神奈川県相模原市内の病院で死去した。48歳だった。「ラーメンは鶏ガラ、豚ガラ、(店主の)人柄の3ガラ」。こんな名文句を残した武内さんは、その生涯を全てラーメンに捧げていた。

 「私はラーメンを語り、ラーメンを広めることで収入を得て、ラーメンに食べさせてもらっている。ラーメン様には足を向けて眠れない」。ラーメンをこよなく愛した武内さんの口癖だった。

 関係者によると、武内さんは2年ほど前から肝機能障害を発症し、入退院を繰り返していた。今春には体調が回復し、「仕事に戻ってこれると期待していた」(大崎裕史・同協会理事)矢先に病状が急転、帰らぬ人となった。

 肝臓の病は持病だった。約10年前、肝臓を患った際、医者から「どんな食生活をしているのか」と聞かれ、武内さんは「3食ラーメンです」と答えた。医者が「それじゃ、ダメだ」と諭すと、武内さんが「実は、私はラーメン評論家でして…」と打ち明け、医者を呆れさせたという。それでも、武内さんはラーメンを食べ続け、当時4000食をクリアしていた。

 福岡県に生まれた武内さんは麻布高校2年の時、東京・荻窪の有名店「春木屋」のラーメンを食べ、その味に衝撃を受けた。以来、ラーメンの食べ歩きを始め、感想や評価を詳細に記録するようになった。

 日大を卒業後、建設会社に勤務しながら、同人誌などに独自のラーメン論を展開。1992年に出演したテレビ東京系『TVチャンピオン 第2回ラーメン王選手権』に優勝、第2代ラーメン王としてマスコミに登場するようになり、ラーメンの専門家として知られるようになった。

 95年3月、横浜に開館した「新横浜ラーメン博物館」の登場を機に勤務先を退社。同博物館の広報担当に転職し、2003年2月に退職するまで「ラーメン業界のスポークスマン」として活躍し、夕刊フジにも連載をもつなどした。その後、「ラーメン総合研究所」を設立、漫画原作、講演を行うほか、昨年10月から、日本ラーメン協会の立ち上げに尽力した。

 ラーメン店「支那そばや」店主で、“ラーメンの鬼”としても知られ、武内さんと親交のあった佐野実さん(57)は「思い出はいっぱいあって語り尽くせない」と言葉を詰まらせ、「最後に見舞いに行った時、たけちゃんの息が“ラーメン、ラーメン”と言っているように聞こえた。あいつのラーメンへの思いは熱く、濃かった。人生のすべてがラーメンだった。自分のほうが年上だけど、いろんなことで勉強させてもらったし、業界に与えた影響も大きい。彼はラーメン業界の国宝みたいな人。棺にはラーメンを入れようと思っている」と話した。

   * * *

 武内さんの通夜は15日午後7時、葬儀・告別式は16日午後2時から、相模原市古淵3の33の21の相模斎場で。喪主は長男の健志郎(けんしろう)さん。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080715-00000005-ykf-ent

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